昨日は、一日でWeb制作の案件を2件こなした。
ここ数年のうちに、デザインの引き出しが以前よりも拡がってきている感覚があり、これまで少しずつだが地道に歩んできた道のりがようやく実を結びはじめたのかなと思う。
少しでも目の肥やしになればと、
日々目を皿のようにして見ている世の中のクリエイティブデザインや
ヨーロッパを旅しながら訪れた数多の国と地域から受けた影響も少なくないのだと思う。
自分の頭で考えているクリエイティブが目に見えるかたちで「見える化」させるというのは想像以上に根気のいる作業で、
納得のいくデザインの落ち着かせるまでの過程は、放っておいたらこのまま病んでしまうんじゃないかと毎回思う。
そうした過程を経ながらも、一定の納得感が持てるクリエイティブに落ち着いたとき、これまでの鬱々とした気持ちはどこ吹く風の如く、清々しい気持ちになれる。
もちろん楽しいだけではないし、それなりの責任もつきまとうから自分の身の丈以上のお話をいただいたと感じる時などは、胃がキリキリと痛むこともある。
だけれど、この一連のステップがやめられなくて、飽きることが一度たりとも想像できないうちはまだまだ楽しく働けそうだ。
こと外野は、完成形だけをみて「あーでもない」「こうでもない」と野次を飛ばすが、完成までの道のりに数多の変数が切り捨てられることは、制作者のみぞ知るところだと思っている。
「その検証、終わってます…」言えるもんなら言ってみろといつも自分に思う。
素直になるところと意固地と取られても曲げない意志との狭間でいつも揺れていると表現すると伝わるだろうか。
だけど、そうした誰にも見えてない部分で妥協せずに努力することは決して嫌いではなく、こと自分の興味のある分野に関してのみ、とことんまで追求したくなる研究者タイプの星に生まれて良かったと心から思う。
自由の本当の意味
新卒から、会社勤めを8年ほどしてから、海外を放浪し帰国ののちに独立した。
右も左も分からないような状況で独立し、無我夢中で走り抜けた日々。
思えば、向こう見ずも甚だしいのだが、
「自分で稼げる力さえあれば、どこの会社にも属さず、誰に忖度せずとも生きていける。」
そう思わせてくれ、自分の力で手にした1万円の重みは今でも忘れ難い。
自分の力で手にしたと言っても、もちろんそこには、良き人との出会いに恵まれてという前置きが欠かせない。
従順に与えられた仕事をこなし、行儀よく席に腰掛けてさえいれば毎月何の疑いもなく定額を振り込まれたお給料。
個人で会社員時代のお給料を超えるには、独立を志してから10ヶ月ほどかかったけど、簡単に目標達成した訳ではないからこそ、その過程のどこを切り取ってもしっかりと語れるものがあると思う。
安定と引き換えに得た自由は、何を書いてもいいのだと与えられた真っ新な白紙のノートの如く自由でむずかしかった。
だから、嫌になったということは今まで一度もないのだから、フリーランス向きなのかもしれないが、
自由を望めば望む人ほど、本当に自由を与えられた局面で右往左往してしまうのではないだろうか—
最近お坊さんが教えてくれた言葉だが、
自由の本当の意味は、自分を頼りにして精神的な拠り所として生きていくこと。
拠り所となる自分を精神的に作り上げること。
初めて聞いた時、なるほどと唸り、同時に深い気づきを得た。
これほどまでに、うまく言語化しているものが他にあるだろうか。
『自由の女神』があるアメリカは、それほど自由でないという話はよく聞く。
本当のところ、どうなのか確めるのも大人の社会勉強だ。
彼の地へは、8年近く足を踏み入れていないが、次に訪れるのはいつになるだろうか。