他人から頼まれた仕事は、はじめの時点ではどうしても「他人事」の域を出ない。

少なくとも、自分の内側から湧いて出てきたもののように何かに突き動かされている訳じゃない限り、そうなる。

会社員の頃は、分かっていてもきっと見てみぬフリをしていたんだなと思う。

起業とは、自分の心に火をつけて、自ら燃えながら走る、ということを実感する日々である。

挑戦に対する悔しさが湧いてくるのも、アウトプットへの1ミリのこだわりが捨てきれないのも、自分の事業だからこそだ。

人生をかけた自己実現。

他人目には、自分の挑戦なんてきわめてどうでもいいことのように写っているだろうなと思う。

ただ、こちらはかなり真剣で

「関わるひとつひとつのプロジェクト(=目的)を完遂、達成した先に、自分が目指してるものがある」

という実感を持ってひとつひとつのことに取り組んでいる今、こんなに刺激的で楽しい遊びはないなと心から思える。

仕事と遊びの垣根のないように、ワークライフバランスという言葉を忘れるくらい、好きを仕事にして没頭したい。

ここ数年の私はずっとこんな感じだ。

会社員時代、仕事の取り組む姿勢にとてつもなくムラがあった(自覚はありますともっ)

自分じゃなくても回るような仕事、オペレーションがすでに確率されている作業に対するモチベーションは、高尾山よりも低かった…と思う。

上司との面談の時にはよく半ば笑いながら注意されたが、本人は直す気なんてなかったに違いない。

ゼネラリストになんてなったら終わり。

専門性がなければ、使いっ走りにされて終わりだ。

なのに、何故日本企業はゼネラリストを育てようと、各人の個性を殺すのだろう。

目の前のタスクしか見ていない場合、表面的で大して高くもないクオリティの仕事しかできなかったりする。

独立するなら、自分じゃなくてもいい仕事、その分野で働くことによって、将来性や知識と経験が手に入らないような資産にならない労働をするのはやめよう、と決めた。

日銭を稼ぐために、誰かの切り売りになるような下請け仕事もしない、とも。

目先の収入を追いかける代わりに、小さくてもいいから自分にしか出来ない仕事を探して、ないならつくって、ひとつひとつ丁寧に信頼を積み重ねる。

それで、あなたにお願いしたい、と指名がもらえるまでやめないと覚悟を決めた。

人間だから、自分が心から「やりたい」と思えるものでないと力が出ない。

起業している人は、世の中をよくしたいとか困っている人を自分の事業やサービスで助けたいと公明正大な理念を掲げていたりするが、究極的には自分に正直に生きると決めた、子ども心を大事にした人なんじゃないかなぁ。

さて、独立してどうなったか、

自分が関わるコト、モノへのこだわりが強すぎるわたしには時に「まぁ、いいか」と言える努力が逆に必要になった次第である。

でも、たった一度きりの人生、自分がこだわりたいものへ全力でアプローチをかけ続けられる、こんな幸せな人生はないと思う。

毎日全力で生きていたら、悩むこと自体忘れると教えてくれたバックパッカーの旅。

その思いを独立後の仕事でも引き継いで、ナイストライを出し続けられるよう後悔のない人生を送りたい。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。