目覚ましのない生活、それでも今では自然と6時前には目を覚ます。

今日はどこで働こう?すかさず、もう一人の自分がその日一番結果が出せる場所で働けばいいんじゃないの?とサジェストする。

今日のランチは何を食べようか?
今日はカレーの気分だからお気に入りのカレー屋さんに行こう(お弁当の心配をしなくていい…)

同じサービスを受けるのに、混雑は避けられない上に、普段よりも高いお金を払ってあまりいい感情を抱けないというのが嫌で、休日・祝日、GW、お盆、お正月など行楽シーズンは世間と逆行するように生きている。

その分、平日でも

行きたい場所へ行きたい時に行ける自由。

会いたい人に会いたい時に会える自由。

今週はこういうスケジュールで仕事を進めていこう。とか、

前倒しで仕事を進めたおかげで予定よりも早く終わりそうだから、平日でもこの日はオフにしよう。といったように、

自分の心と定期的に打ち合わせをしながら、働いている。

数年前の自分が聞いたら、どんな驚いた顔をするだろう?

誰かにこうしてあぁして、と指図されるのがとにかく嫌で、自己裁量に溢れる人生にしたい。

今も昔も根底にある価値観や望みはそう変わらなくて、その多くは、会社に縛られて働いていたときに思っていたことがほとんどなんだけど。

当時は、そんな人生が訪れることなど夢のまた夢、想像しようにもどう実現していいものか現実がついていかなかった。

とにかく自由でありたいから、里山暮らしというのもちょっと違うし、やはり自由にはそれなりにお金が必要で、お金があることでその時々で選べる選択肢の数が増えることとイコールになる。

世間のニーズやマーケットに自分が少しばかり得意でやっていて苦でないことを絡めていく。その範囲内で他者貢献、価値提供をしていくと決めて行動してきた中で、出会えた人がいて、縁があって今があるから、本当に感謝なのだ。

心理学の世界では、目標設定の重要性において、ちょっと頑張れば叶いそうな望みを抱くよりも、今の自分が実現できるか分からないくらいの望みを掲げる方が行動習慣が変わるからいい、という話を先日聞いた。

ただ思っているだけでも、脳に意識させることで理想で現実の狭間を埋めるために勝手に行動してくれるそうだ。本当なら、素晴らしいこと。

今の自分にとっては当たり前のように感じてしまう今日という日は、何年か前の自分が喉から手が出るほど欲しかった日常である。

日頃忘れがちだが、近視眼的に今の人生を見つめていると、見つけられないことがあり、勝手に捨ててしまっている可能性もあることに気づく。

もっともっとと自分に足りないものを埋めるように不足感から行動すると、時間がかかり結果も出ない。

今の自分が勝手に無理だと思っていることも、未来の自分からすれば自然と実現していることのひとつにカウントされるのかもしれない。

身軽で自由でありながら、きちんと結果を残していく。

一歩、いや二歩くらい先の未来を見つめて、今出来ること、そして未来の種蒔きになる行動を少しずつ進めたい、と思った今日この頃。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。