新規事業のスタートアップをお手伝いさせてもらっているクライアントさんと打ち合わせをしていて、

自分の強みが発揮されることで目の前のお客様のお役に立てたとき、いただく「ありがとう」の重みが変わってくる、というような話をした。

嬉しさの度合いが違う、と言い換えることも出来るだろうか。

もちろん、どんな「ありがとう」であっても言われて嫌な気持ちになる人はいないだろう。

しかし、「ありがとう」の中身をより丁寧に紐解いていくと、確かに人は自分にしか出来ないことや自分だから任せてもらっていることで御礼を言われた方がより嬉しいのだということにあらためて気づかされる。

そこに、収益が比例するかどうかは結果論であって、最初は誰かに褒められたり、感謝されたりそんな小さな成功体験を積み重ねて、ある時ふと「あぁ、自分がやりたかったことってこういうことか」と気づく瞬間があるのではないかなと思う。

自分のコントロール出来ないものにはなるべく執着しない

独立してからは、目先の収益を追いかけるよりも相手が必要とするタイミングで自分に出来ることはないかと考え、あれば出来る限りギブしてその先の未来で自分のことをもっと必要としてもらえる機会があればラッキー、という向き合い方で日々仕事をするようになった。

仕事だけでなく、人付き合いは「運」と「縁」と「タイミング」がつきものである以上、どれだけ自分の想いが強かろうが成就しないときはしないし、逆に狙わずとも自然にご縁を感じる人とは繋がれるものだ。

そう思うと、小手先で誰かや未来を変えようなど野暮ったいことだと気づく。

自分でコントロール出来ないことに気持ちを持っていかれると消耗しないでいいところで消耗してしまうことにもなりかねない。

結果周りまわって、人付き合いにおいてはあまり期待せずにいる方がお互いにとってプラスになるのだと考えるようになった。

信頼の構築はワインや醤油をつくる過程に似ている

「寝食を忘れて打ち込めるものに、人生をかけて向き合っていきたい」
「自分にしか出来ない仕事で必要とされる人になりたい」

と思い、右も左も分からないまま、向こう見ずで独立した。

思えばあの時の感情は、これから先どうなるかなんて分からないけれど、直感に従った末に未来でより自分らしい仕事を通して、たくさんの「ありがとう」をもらいたい、そんなシンプルな気持ちを携えてのスタートだったように思う。

自分にしか出来ない仕事で、「ありがとう」をもらった時に、思うようにいかず暗く沈んでいた気持ちなど吹き飛ばされる。

そんな瞬間をもっともっと味わっていきたい。

その「ありがとう」を積み上げることが、お金で買えない価値や資産をゆっくりと時間をかけて醸成している過程に自分はいるのだと思うことが出来るから。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。