2016年の初夏にインドへ旅して以来、すっかりTVを見なくなった。

実家では、ゴールデンタイムには決まってTVがついているが、次第にノイズにしか聞こえなくなった。

食事をするときは、いただける喜びに感謝をしながら味わいたいし、何より目の前の人との会話を愉しみたい。

すでに、その予兆はあったのかもしれないが、近年は暇つぶしになるようなネットの刹那的な情報消費もすっかりしなくなった。

FacbookやInstagramは娯楽の要素というよりも半分仕事として活用しているし、一定の用が済めばそれ以上は深く居座らないようにしている。受信者としてはある特定のYouTube動画やTwitterを除き、TikTokはアカウントすら持っていない。

まるで、丸裸で蜂にでも刺されに行くかのように、ジャンキーで豊かになるかけらもないような情報を、自らの意志で取りに行き、それによって怒りや嫉妬を露にして生きるのか私にはよく分からない。

要らない情報を遮断すれば、一喜一憂することもないのに。

なぜ平気で情報操作が行われているメディアやフェイクニュースに時間を割き、挙句に翻弄されるのだろう。

それらのどの要素が自分の人生を豊かにしてくれるというのだ。

そんなことをするくらいなら、好きな作家の本を一人静かに読んでいる方が100倍心身ともに栄養になる。

SNSにおいては、かつてのクラスメイトや知り合いだからといってフォローすることもなく、フォローリストをミニマムにとどめているおかげで見なくてよい情報が入ってくる機会が減り、心は比較的に平穏に保たれている。

SNSの世界だからといって、建前が必要な現実と同じ世界で塗り固めなくていいと私は思う。

知らない世界を見せてくれるはずのSNSを、自分の世界を拡げてくれる可能性を持っているツールを、何故よく知っている人の行動日記に、時には保身のためにいいね!を押しに行かねばならないのだろう。

近々、LINEもやめようと思っている。

数年かけてLINE以外の連絡ツールで事足りるよう、シフトしてきたおかげで日常生活に支障をきたすことも無くなったことが最近分かった。

ココリコの遠藤さんが残した名言、

「LINEでつながれる100人の友達よりも、メールで心通わせられる5人の友達で十分」

に私は強く賛同するタイプだ。

LINEでしかつながれない相手なら、所詮それまでのお付き合いだということ。

浅く薄っぺらいつながりはいらない。

時代に逆行していようが、付き合う人は自分で選ぶ、でいいではないか。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。