今月は、もう少し自分に負荷をかけていこうと思った。

自分がもう限界だ…と錯覚している瞬間が、ひょっとすると未来の可能性を殺してしまっているのではないかと気づいたからだ。

クライアントワークで忙しいことは幸いなことだが、決してそれだけではダメで、もっともっと「忙しい」の中身を丁寧に見ていかないといけない。

自分がこだわりを熟成させているつもりでやっていることは、果たして本当に必要なこだわりなのか?

それともただのエゴなのか。

私は自分に厳しすぎるくらいこの辺りの気持ちに敏感でいないと、ついついクリエイティブだのデザインなどと最もらしい理由をつけてついつい無駄なことをしてしまいがちだ。

その狭間で揺れている間は、まだまだ経験が足りないのだろう(と素直に認める)

「今月、自分は資産になる行動にどれほどの時間を割いたか?」

月末に振り返って、この問いに明確に答えられない限り、そう遠くない未来で自らの首を絞めかねないと思っている。

月商がどれほど高かろうがそれは年単位で見たときの「点」でしかない。

今月忙しいということは、目先の収益がたったことでしかないのだ。

時間リッチなフリーランス。

法を犯したり、犯罪に手を染めるなど、常軌を逸した行動をしない限り、誰にも咎められない職業は、自分にキツすぎるくらいのプレッシャーでちょうどいいと思っている。

時として「時間食い虫」をやっているのは、他でもない自分であるからだ。

「そんなに頑張らなくてもいい」とか「無理しないで」と言ってくれるやさしい人がいるのは有難い反面、それに素直に従っていたらいけないなとも思う。

結果を出している人は今もこの瞬間も手を動かしているから。

少しのゆとりがクリエイティブに善をもたらすこともあるのは事実だが、もうちょっとだけ頑張ろうと少しキツいくらいの負荷をかけてやる方が、案外良きに計らうことも往々にしてある世界。

そんな世界に住まう以上、お酒の限界を知るように、一度自らの負荷の限界を知るのもひとつかなと思っている。

見ず知らずの他人に

「余力を残すくらいなら、日々をフルスイングで生きるべき」

などと求めたりはしないが、人それぞれ目指すゴールが違う以上、「平均」とか「基準」などの言葉は不要なはず。

今この瞬間に頑張れない人間に、夢を語る資格などないと思うから。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。