忙しい時ほど時間のなさに反比例して、ふとパン生地を捏ねたくなる瞬間がある。
真夜中にお菓子を焼きたくなる衝動に駆られて、人々が寝静まった頃からガサゴソと計量をはじめたりする。
誰にお願いされた訳でも、明日食べるパンがなくて困っている訳でもないのに。
「食べる」という目的を果たすためなら、わざわざ時間をかけて手作りしなくてもすぐに手に入る距離に専門店がある。
ケーキやパンに至っては、材料費と人件費を考えればお店で買った方が断然安いし美味しいはず。
旅にだって行かなくたって別に死なない。
わざわざ危険をおかして、海外へ出ていかなくても日本でも十分幸せに暮らせる自由がある。
写真を撮らなくても、心に鮮やかに記憶しておくことが出来ればそれで十分。
こういった誰にお願いされた訳でもなく、してしまうこと。
理由は分からないけれど追求したくなるものこそ、本能の表れを感じる瞬間である。
その欲求に蓋をするのか、忠実に従うのか。
各々の自由だが、個人的にはそんな時は可能な限り欲求に素直に従った方がいい、と思っている。
欲求の外側にあるものを追いかけても、本能には逆らえない。
直接的な発見はなくとも、その欲求に従った先に長く探し求めていた問いに対する答えが見つかるかもしれない。
全力でトライしてみる先に、思ってもみなかった気づきがあるかもしれない。
降って沸いた感情は意外とすぐにどこかへ行ってしまう。
いつか時間ができた時のために残しておこう。
そのいつかは永遠にやってこないのだ—
何故こんなことを思うのか、今日は祖母の命日であった。
やりたいこと多少の無理を強いてでも比較的何でもやらせてくれた私の祖母は6年前に亡くなった。
しかし、今でも人生の選択に迷うたび、心の奥で生きている彼女に尋ねる瞬間は多い。
やりたいようにやりなさい、
訊く前から答えは決まっている私にかける言葉は今も昔もあまり変わっていないようだ。
陰ながら守ってくれている安心感が、ブレーキをかけるべきところで見誤らないようにそっとお知らせをくれるやさしさが今日も私を自由にさせてくれているのかもしれない。