朝晩が肌寒くなってきたこの頃、ネグリジェを新調した。
秋に似合うベージュ色のもっちりしっとりとしたベロア生地。
もっちり、しっとりとうたうキャッチコピーに違わぬ肌感に包まれるぬくもりは、すでに何者にも代えがたく、本当によい買い物をしたなとつい自分を褒めたくなった。
おかげで毎晩深い眠りにつくことができ、予期せぬ副産物を得たような気分で悦に浸っている。
昨晩はお馴染みのぬくもりに包まれたくて、良い子を装い22時には就寝した。
「片時も離さないぞ」
とまるで全身をマシュマロ国の王子にでも包まれていると錯覚し得るこの感覚は、そうそう手放せそうにない。
こんなに安い投資で幸せに朝まで眠りにつけるのなら、もっと早くに買い替えればよかった。
機能性とデザイン、両方において大変満足している。
もったいないを因数分解
安易に物を買わない習慣がある話は過去何度もしてきている。
ご多分にもれず、かねてからずっと欲しいと思っていたものがセールになれば迷わず飛びつくだろうけれど、安価だから、セールだからという理由で物を購入することはない。
消費のサイクルは、ダイエットと似ているなと思っていて、
食べなければ(買わなければ)、痩せる(捨てる)必要もない。
または
運動して痩せようとする(捨てるためにエネルギーを使う)よりも、食べる量を制限する(買わない)方が容易い。
に等しいと思っている。
こういった思考は、海外を旅するようになった影響力が大きいと思っていて、増やしてしまった荷物はいずれ自分で背負わなければならないから、なるべく身軽るでいられるようにあらゆる観点でリスクヘッジをとっているのだと思う。
こういった話をすると大抵側から見れば物欲がないように映るようなのだが、本人はそうとは思っていない。
お財布の紐をゆるめるかどうかの基準は、自分の心がときめくか否か。
私の設定している基準は自分でも結構高い方だと思っていて、
もう少し丁寧に言語化すると、デザインと機能性のどちらも一定の基準をクリアしていないと買わないというルールにしている。どちらか一方が優れているからといって一時的な気持ちに左右されて家に連れて帰ることもない。
使用頻度が低いものは、どれだけ安かろうが結果的に高くつく。
安く購入できるチャンスを逃したというよりも、使わないものを年がら年中家に置いておくこと自体が限りあるスペースを殺しているようでそちらの方がよりもったいない。
その反面、どれだけ高かろうが心がときめき日々の生活の中に欠かせないものであれば迷わず即決で買うタイプだ。
コロナ禍でおうち時間を豊かに過ごすための工夫に随分と思考が割かれている。
非常に嬉しい悩みである。
家がくつろげるから、非日常や刺激を外に求めることも少なくなってきたようだ。
心が豊かであれば、人にやさしくすることもできる。
つい目の前のことがてんやわんやしてくると途端に余裕がなくなってしまうが、
あたふたしている自分が滑稽ながらも、こんな楽しいプロジェクトは二度とやってこないようなつもりで目の前の仕事のひとつ一つと対峙するのも、結果的に自分のキャパシティが拡がっていいのかもしれない。
ときめくものに出会えるタイミングは、自分が成長を実感できるときでもあるから、また次なるその時のために走ろうと思う。