お隣の美容大国・韓国では随分昔から盛んだったアートメイク。
ここ数年、日本でも随分浸透してきているらしい。
ご存知ない方のために
アートメイクは、美容医療の施術の一種。皮膚に針で色素を注入し、眉やアイライン、唇などを描く美顔術である美容目的でなく、瘢痕の再建などの医療目的で行う場合、パラメディカルピグメンテーションと呼ばれる。
ウィキペディア様
値段は、数万円から長期的に換算すると10万円を超えたりする。
かく言う私も自身の“眉毛”の一部をアートメイクにお世話になっており、
忙しい朝の時短に
夜の突然のZoomミーティングの招集に一からお化粧を施さなくていい手軽さに日々その恩恵を感じる。
おかげで眉毛に至っては、日々すでにあるアートメイクの下地をアイブロウペンシルでなぞるだけ、という手軽さである。
眉毛を毎日真剣に描こうものならそれなりに時間とエネルギーがかかる。
しかもどれだけ頑張って描いても、日々微妙に違う絵面になってしまう…
夏場は汗で流れ、無惨に消え去る。
男性の皆さん。
「女性」という職業は意外と大変なのですよ。
日本人の集団意識たるや
今から5年ほど前まで通っていたジムに併設されているお風呂では、
毎度のように繰り広げられる主婦の「井戸端会議」ならぬ「井戸端サウナ」で
よくアートメイクの話題が間接的に聴こえてきたものだ。
ある主婦が
「ついに先週、やってきたのよ」と
自身のこめかみあたりを指差して、意気揚々と自慢気に語る。
周囲が一様にどれどれと顔を覗く。
その主婦の話術が巧みなのか、いわゆる日本人特有の置いていかれまい、という集団意識の賜物なのか、何が奏功してか分からないが、皆が次々と触発されてアートメイクのために韓国旅行を申し込んでいく。
真面目にサウナで旅行代理店を運営すれば、儲かるのではないかと本気で思ったほどである。
ややもすると、次にネットワークビジネスの主戦場となるのは、サウナかもしれない。
ちなみに世間がコロナ禍に翻弄される随分前の話である。
っと、ここまで期待値を上げておいて大変申し訳ないのだが・・・
実物はその当時、お世辞にも美しいとは言い難く、
例えるなら、
地肌の上に、べっとりと血糊を塗っているようなその部位だけが不自然に浮いているのである。
想像力を働かせてみてほしい。
その不気味な様は、微かにだが内心確かにあったアートメイクに対する猜疑心を募らせるには十分すぎるほどだったのだ。
ハートが頑なに拒否していた。
どんなに良かろうと彼女らに触発されて韓国に飛ぶことはないな、と固く誓ったのである。
数年後・・・
ところが数年後、全く思いもよらぬところからアプローチをかけられることになった。
私にとって普段はいちばん縁遠いSNSと言っても過言ではないTwitter。
とある日のタイムラインに以下のツイートが流れてきた。
よく見てほしい。
男性である。
しかも普段は、キャリア関連の大まじめなツイートを炸裂している、ものスゴ〜く頭の良い方である。
何なんでしょうね、この感覚。
女性の私がその手の美意識に遅れをとっているとでも感じてしまうこの奇妙な嫉妬とも言えぬ感覚は、結局置いていかれまいと躍起になったあの頃の主婦のひとりと変わらないのではないか、と自身を揶揄したくなった。
結局、何にお金を払っているのか
サウナでの主婦の話を小耳に挟んで以来、脳みそのどこかにその片鱗があったのかもしれないが、あれほど頑なに拒否していたアートメイクに対する猜疑心は、ある美青年のツイートから払拭され、また実際の行動に移す背中をも押されることとなった。
人間は感情で動く、生き物。
ただ一人の例外なくして。
ちなみに、私はメイクに対する美意識はさして高い方ではない。
謙虚の類ではなく、おそらく事実として女性の平均以下であろう自覚がある。
ノーファンデを自ら推奨しているし、何もない日こそ素肌で過ごしたい。
毎日のメイクの平均時間は10分。
出来ることなら1秒でも短縮したい。
つまり何が言いたいのかというと、タイトルで既に答えを言っているようなものだが、
より美しくありたいという気持ちに勝る欲求は、メイクにかかる時間を短縮したい、という一人の女性のズボラ心だった訳である。
「高い」の一言で終わらせないために
物を買うとき、サービスを受けるとき、自分は何にお金を払っているのか、に注意深く意識を向けてみてはどうだろうか。
一見すると、“ゲッ、高い”と感じるものをただ高いという感情で終わらせず、ふと立ち止まって目先のお金をどこに投資するのかという点でお金を使っていくと、自然と浪費はしなくなる。
人生でいちばん大切なものは、時間。
その限りあるギフトを大切にするための努力とお金なら惜しまない。
時は金なり、ではなく「時は金よりも尊し」なのだから。