今から12年前に遡ること、当時16歳。

はじめてのアルバイト代をはたいて買った青の牛革のエナメル生地が美しい、ANNA SUIの長財布。

財布を開けるたび、かのブランドを象徴する薄紫色と花柄の中地が控えめに、でも私はたしかに「ここにいるよ!」と言わんばかりに主張する。

当時のお小遣いにして半年分くらい…?

高校生にしてはなかなか勇気のいる買い物をしたのは、記憶に新しい。

お得意の直感に任せた買い物で、以後10年経ってもなかなか手放せない私物のスタメンの座を獲得しようとは、当時は思いもよらなかった。

その後、人気のデザインは廃盤となり、勝手にプレミアの箔が付いたような気持ちでいたのである。

物にも心が宿っている

その間、いくつの財布を買い替えたことだろう?

12年の歴史の中には、出来心で彼女よりも値の張るお財布に買い替えたことも数えるほどだがあった。

自分が普段から肌身離さず身につけるものに関して、妥協や流行りのそれで決めるということはまずない。

買い物は大抵即決か、迷うくらいなら買わないというのが通例である。

なかなかにこだわりが強く我儘な性格なので、機能性とデザインどちらも譲れない。

ゆえにデザインは申し分なくお洒落だけれど機能面はイマイチだと、もれなく減点の対象になる。

逆も然りで、機能は抜群だがデザインに秀でたものを感じられないと、これもまたサテライト行きとなる。

それに比べて、長年手放せなかったANNA SUIの財布というのは、どちらも優れているまさに痒いところに手の届くような存在だった。

数年ごとに出来心で目移りしては新しい財布に買い替えても、しばらく使ってみるとどうしたことか居心地の悪さのようなものを感じて最終的にはANNA SUIの財布に戻ってきてしまうのだ。

ANNA SUIの魔法である。

時折、柔らかい布で拭きながら、職人さんの見よう見まねでクリーニングするように皮の独特の経年劣化の味わいを楽しむようにしてこれまで使ってきた。

我ながら、本当にほんとに大事に扱ってきたと思う。

しかし今年になって、もうそろそろ交代の時期ですよ。

ふと財布から、そんな声が聞こえてきたような気がして、いよいよかと思っていたが、この度お役御免となった。

「おつかれさまでした。」

そんな風に労いの声をかけたくなる。

好きなものを買う瞬間、大切な誰かを想って贈り物をする時、美味しいものを食べて満足してお会計をするとき、私が嬉しいときは同じように嬉しい気持ちでいてくれたんじゃないかなと思う。

物にも人と同じように心が宿っている。

物を大切にする心は、家族の扱いこそぞんざいだが、物にはひときわ愛情を持って接する父が背中で語ってくれた教えなのだろうか—

お財布供養

私としては、長年お世話になったお財布をポイと燃えるゴミとして捨てることは非常にはばかられるので、どうにかしてお財布界の極楽浄土へ行ってほしいという気持ちがあった。

そこでふと「お財布供養」というのはあるのか、と検索してみた。

あった…!のである。

それが語られていたのはどういうご縁か、この度新しく迎え入れることとなった新米財布のブランドサイトだった。

そこで今回、お財布供養というのをやってみることにした。

サイトのご指南に従うと、氏神さまの神社へ奉納するか、窓口に送ることで無償で供養を代行してくれるとある。

控えめに言ってスバラシイ。

物との最後のお別れをきちんとすることで、また良き出会いを人生にもたらしてくれるだろうと確信している。

決して、多くのものはいらない。

ゆえに刹那的な買い物はしない。

だからこそ、そうして妥協なき運命のような出会いを果たしたモノたちとは、一緒に過ごせる時間は少しでも長く楽しんでいたいと思う。

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ヒカリノアトリエの中の人

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