日本から飛行機で映画2本分の距離の場所に位置する、台湾。

初めての台湾は、日本から向かう時とは真逆のアプローチで降り立つこととなった。

ヨーロッパ周遊旅から日本へ帰国する際に、台湾乗り継ぎのチャイナエアラインの航空券を購入した当時のわたしは、「ラッキー!降りれるものなら降りて一旦慣れ親しんだアジアの空気を吸ってから帰ろう」と呑気に途中下車して観光する気満々で予定を立てていた。

途中下車が許されないと知るのは、まもなくヨーロッパ最後の乗り継ぎ場所となる、ドイツはフランクフルトでしかめっ面のエアラインカウンターのスタッフの女性と対峙した瞬間だった。

知らないって、お得だ。

おめでたいことに途中下車してすっかり台湾の観光を楽しむ気でいた私の期待を真正面からへし折るかのように

「降りれないわよ」

ほほ笑む、という行為そのものを人生において放棄したような形相で見つめてくる。

こちらのことなどおかまいなしに事実のみを突きつけてくる顔には、「役」「所」と書いてあった。

「えっ…そんな(絶句)」

「あなたのチケットはKANSAI行き、以上。」

「いやいや、待てまて。降りれないことには立てた大切な予定の全てが反故になってしまうから、ぜったい、降・り・る!」とこちらも簡単には引き下がるつもりはなかった(根っこは素直、ここぞという時は譲らない♡)

必死の交渉の末に、何やら台湾人によるドイツ語で関係各所に交渉をしてくれている予感…。

交渉が難航しているような気もするが、頑張って!と必死で藁にもすがる思いで目の前の微笑まぬ神に祈るしかなかった。

電話を切る直前の「ダンケ(ありがと!) チュース(じゃあね!)」の部分だけ聞き取れたことに安堵して交渉は無事に終わったことを確信した。

そうして、預け荷物と生き別れるのを回避してもらい、航空券よりも高いペナルティを払らうことで途中下車ができることを聞かされた。

「っで、どうする?」

一瞬、ペナルティの金額が書かれたペーパーを見て、ギョッとしたが…目の前の彼女のこんな高いお金を払ってわざわざ降りないでしょうよ、という挑発的な眼差しをまんまと裏切ってカードを切って降りた。

そうまでして降りたかった理由は何なんだろう。

一度決めたことは誰がなんと言おうと貫き通したかったから?

目の前の笑わぬ彼女の鼻を明かしたかったから?

惜しいような気もするけど、そのどちらでもない気がする。

そんなことよりも、シンプルにまだ見ぬ台湾に降りたってみたかったんだと思う。

古き良き日本が残っているようでどこか懐かしい気持ちにさせてくれる、台湾に。

これぞまさしく贅沢な病だが、長らく過ごしたヨーロッパの景色に些か辟易していた私が渇望していたのは、シンメトリーの美しい建物でも、ラテンの陽気な音楽でもなく、それらを的確に表現したいと思えば思うほど言葉が見つからないような雑踏と混沌とやや未完成で何が起こるか分からない危うさだった。

ギブ&テイクはもう古い

台湾スタイルの朝食

台湾での日々は、人の温かさに触れるには十分過ぎるくらいの旅だった。

初めましてをしてまだ数時間しか経っていないのにもかかわらず、行動を共にしている間は1円たりとも払わせてくれない、debby。50嵐(ウーシーラン)のタピオカミルクティーと鼎泰豊(ディン・タイ・フォン)の小籠包をしこたまごちそうさまでした。

雨もまた風情がある九份

ナイトクラブの仕事明けに眠い目を擦って桃園空港まで迎えに来てくれた、蕭蔓。結局その足で昔ながらの台湾スタイルの朝食を食べに連れて行ってくれて、まさかの雨の中を九份まで車で送ってくれた。

台湾の古都、台南

台南でアテもなく電車とバスを乗り継いで、随分遠いところまで水平線に浮かぶ夕日を眼(まなこ)に入れたいと歩いた末にフラッと立ち寄った老舗台南レストランのオーナーは、ここまで歩いてきてわざわざ食事をしていってくれた御礼にと来た道を引き返すように車で宿まで送ってくれたっけ。日本語が上手だと思ったら、昔日本で野球をしていて元プロ野球選手の王さんのお友達だということが判明した。

事実を淡々と書いているように映るのだろうが、ひとつひとつが随分と胸を打たれた体験だった。

彼ら、彼女らはきっと見返りなんて求めていないんだ。

そんな風に思うと目先の損得に囚われているような煩悩な自分に嫌気がさした。

ギブ&テイクなんて古い、そんな概念さえも忘れさせてくれるような温かい出会いに満ち溢れた、はじめての台湾だった。

あぁ、また彼らに会いたい。

与えることで喜んでいるのは誰?

しかし、台湾人と一括りにしても、いろんな人がいる(はずだ)

たとえば日本人は、まじめすぎるのが特徴だよね、とこんな風に一括りに形容されたら嫌なはずなのに、

自分のことを棚に上げていうのもあれだが、人は旅に出てちょっと異国を知ったような気持ちになると、訪れたことのある国のお国柄とか人種とかあらゆるものを自分の知ってる言葉の範囲で語りたくなる生き物だとつくづく思う。

まぁ、そんなことどうでもいいじゃん。と許せるような心の広き大人になりたいものだ。

果たして、限りある人生自分は誰に何をどれだけ与えられるだろうか—

与えられるよりも与えることに喜びを感じられることが遺伝子レベルで刻まれているように感じた台湾人の彼らから、独立後仕事に役立つヒントをたくさんもらった気がする。

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ヒカリノアトリエの中の人

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