憧れし写真家の女性は、極めて右脳派だと思っていたら、
実は、想像以上にロジカルな方だった、というのが最近の驚きだった。

各人が持つセンスや持って生まれた才能は、
言葉では説明の出来ないもの、と決めつけていた私は、

以前は、作品を見るたびに生まれる

「なんかいいな」
「なんとなく、素敵だ」

の抽象的でボヤけている部分を
センスや才能と片づけていた。

分かりやすくいうと

感性で撮れることこそ才能、と思っていたので、
作品の中に散りばめられているロジカルな発想や着眼点を窺い知るたびに、
ハッとさせられっぱなしだった訳だ。

もちろんセンスや才能が、
いい写真を撮るうえで起因していない訳はないのだが、

その“なんか“の部分について真摯に向き合い、
尋常ではない解像度で客観的かつロジカルに
言語化できるまでに考え続けておられることが
同じ写真を生業にするものとして、驚きを隠せなかった。

素晴らしい何かに触れたときの明言できない
“なんか“をその人のセンスや才能と片づけてしまうのは簡単。

けれど、その

「なんかいいな」
「なんとなく、素敵だ」の

なんかの部分にあるのは、何なのか?

もっと向き合ってみた方がいいと思った。

何事においてもその道で突き抜けていたり、
そつなくこなしているように見えている人ほど、
その分野のことについて寝ても覚めても考え続けているのは、

言わずもがな真実だ。

なぜこの人の写真は人の心に残るのだろう…
なぜこの人の文章は刺さるのだろう…
なぜこの人は人を惹きつけてやまないのか…

正解はひとつでないにせよ、
作品であれば、完成されたものを美しいと眺めるだけでなく、

その“なぜ“の正体を見つめる過程こそ意味があり、それらを考え抽象化することで
自身のビジネスにも転用できるヒントが隠されているな、と教えられた時間だった。

会社員をしていた頃、寝ても覚めても向き合える「何か」を喉から手が出るほど欲していた。

あれから何年も経ち、現在は寝食を忘れてうち込める「写真」という
ライフワークに出会えたこと、それをこれから一生かけて深めていきたいと
思えるものに出会えた私はとても幸せなんだ、と過去の自分と現在とを比べてみてあらためて思った。

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ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。