享年、29歳。

若くしてこの世を去った従兄弟の年齢をもうすぐ自分は追い抜こうとする齢(よわい)になった。

朋兄(ともにぃ)と慕う、かっこよくて、優しくて、思いやりがあって、時々面白い、絵に描いたように素敵な彼が大好きだった。

突然の別れから19年。

もし生きていたら…

どんな素敵な奥さんと結婚して今頃、どんな温かい家庭を築いていたことだろうと思う。

死因は、働きすぎ。

当時、そんな言葉はなかったように思うけれど、今でいう”過労死”だという風に聞かされた。

無念だった。

当時10歳のわたしには

頭の中に『何故?』がたくさん転がって、その件をあまり上手に思い出せない。

時間がゆっくりと解決していくことを信じて、誰もが忘れたくても忘れられない想いを抱えながら時を過ごしたことだろう。

生前の意思表示

後に、生前彼が臓器提供の意思表示をしていたらしい、ということを知った。

そのおかげで死後直後、彼の両眼はこの世に必要としている誰かのもとへ渡ったという。

日本には、実に多くのアイバンクがある。

アイバンクとは、失明の不幸に見舞われている人に角膜移植手術を施し、開眼の機会を与えるために、角膜提供登録者を募り、死後、遺族の同意を得て移植を待つ患者に斡旋する公的機関のことだ。

アイバンクに眼球を提供することを献眼(けんがん)という。

献眼に事前の登録は不要なようだが、献眼登録を行うと献眼登録証と献眼登録者カードが発行され、これらを携帯することで自らが献眼の意志があることを示すことができるらしい。

しかし、臓器提供意思表示カードに記載すれば特に届け出る必要も登録する必要もないということだ。

お馴染みの場所といえば、運転免許証の裏にある欄が有効である。

ペーパードライバーの人にとって普段は、高額な身分証明にしかならないたった一枚のカードの裏側に小さな意思表示をできる場所はあるのだ。

そうしたい、と思っていても人間はなかなかやらないもの。

でも、実際にそうやって小さな行動をしていたところに、彼の他者を思いやるやさしさが滲み出ていた。

この世の誰かが彼の瞳を通して、この世界を見ている。

彼が29歳以降見れなかった景色を。

瞳だけはまだこの世にあって今日も誰かの役に立っているんだなぁ、

と思うとジーンときた…

彼のもう一つの想い

生前、携帯も今ほど普及していない頃に

何度かやり取りした手紙を今でも宝物のように残している。

普段は、決して開けない扉の向こう側にはこう記してあった。

僕も手紙を書くのが好きで、今までにいろんな人にたくさん手紙を書いてきました。

 といっても、やっぱり好きな女性への手紙が一番多いかなぁ。

書く時はどうすれば相手に自分の気持ちが伝わるかすごく考えるしそうやって書いた手紙はきっと相手の心にも響くと思います。

これからはネットやメールの普及で自筆の手紙は減るだろうけど、かほりちゃん(わたしの名前)には手紙を書く習慣を大切にしてもらいたいと思います。 

時代は変わっても、手紙を通じて築ける関係を大事にしてほしい…

女性のように美しい字体で記されていた。

今でも、わたしの宝物だ。

人並みにITの恩恵に預かっているわたしだが、自身は割と筆まめな方だと思っている。

本来は、LINEよりメールの方が好きだし、メールと手紙を比べることは比較の対象にもならないのかもしれないけれど、

特定の深い関係になった人と男女問わず長文でやり取りすることも厭わない。

このブログも手紙のようなつもりで書いている。 

彼のおかげだろうか。

死後も語り継がれる生き方

彼が亡くなって20年近くたった今でも

わたしたちは飽きもせず未だに彼との思い出話をする。

家族の誰からともなく彼の話題を口にして気がつけば思い出話に花を咲かせてしまうのだ。

もう何度となく口にしたはずなのに色褪せない。

決してアップデートされるはずのない時間の中に一人ひとりが想いを寄せている。

死後も語り継がれる生き方って素敵だな、とあらためて思った。

今頃は、宇宙を瞬く無数の星の中に生きてまた別世界でみんなに愛されているんだろうか。

それとも、もう生まれ変わった…?

教えて、朋兄。

高野山、いつかあなたの眠る場所へ逢いに行きます。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。