ご機嫌でいるための努力と聞くと、
欲しいものをすぐに手に入れられる状況のことや、
好きなものを好きなだけ食べることができる生活だったり、
夜更かししてダラダラ過ごせるといった時間的な余裕
…を思い浮かべるとしたら、それはつまり極限まで自分を甘やかす類のこととイコールになる—
そういった状況が今すぐ手に入るとすれば、それは大半の人にとって嬉しいことに違いはないだろうし、ご機嫌でいられることなのかもしれない。
しかし、果たして本質的にそうだろうか。
わたしはアメリカの倫理学者である、ラインホールド・ニーバーが提唱した「ニーバーの祈り」の考え方を時々思い出したりしているのだが、
思い通りにいかないことが起こるのが人生だとしたら、自分に変えられることとそうでないことをきっちり二分して、自分次第で変えられるものについては、積極的に悩み、より良くなるよう最大限に努力する、という考え方が合理的で好きだ。
ニーバーの祈り 神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。 ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
特に祈りの最後の部分の
“変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ”
という部分は忘れた頃に読むと毎回ハッとさせられる。
ご機嫌でいるための努力とは
「ご機嫌」とはつまりどういう状態のことを指すのか?
自分のやる気や集中が削がれる状態がストレスとなる嫌な状態と仮定すると、それらを極限まで排除することがよりご機嫌でいるための近道ではないだろうか。
自分が不機嫌になること、ついイライラしてしまうこと、悲しい気持ちになることが起こったとき、冷静にここで耐える意味はないと思えたら全力で逃げてもいい、と肯定してあげることが巡りめぐってご機嫌でいられる方法なのではないかと私は考える。
自分がご機嫌でいさえすれば、つまり回避できる不機嫌が削がれた状態であれば、仕事においてもプライベートでも高いパフォーマンスを発揮することができる。
自分が好きなことは自覚していることが多いが、その反対である苦手や嫌いなことを自覚をしていない人は意外と多いのではないだろうか。
なるべく見ずに済むのなら、臭いものには蓋をしておきたい…のが人間というものなのかもしれない。
ちなみにこの度、私もご機嫌でいるための努力をいくつかリストアップしてみた。
- 仕事で返さないといけないボールを手元にいつまでも残さない
- マイナスになるようなニュース(テレビ)を見ない
- ネット上にある刹那的な情報消費をしない
- 一人で過ごす時間を意識的にとって本をたくさん読む
- 添加物の多い食事を摂らない
(たまに、『551の豚まん』や『王将の餃子』なんかは食べる) - 部屋が片付いている状態を維持する
- 人混みの多い場所に行かない
- 上辺でのお付き合い、中身のない会に参加しない
- ストレスとなる人と話さない
- 愚痴や不平不満を言って変わろうとしない人と付き合わない …etc
これらは一例だが、
ある時、生きている上で直面するマイナスの要素をかき消すために楽しいイベントで人生を上塗りしても、いずれガンとなるマイナスの要素が消えない限り、次のステージにはいけないような気がした。
私はあれこれと決められたマニュアルの中で、あぁしてください、こうしてください、と他人から指図されたり、ある世界で決めれたルールの中で正解を指示、強要されるのが極端に嫌いな人間だ。
それゆえに起業は必然であり、自分にとって嫌なことをやらないための自己防衛の一つになった。
人にやさしくできるのも、余裕のある返答が出来るのも全てはご機嫌でいるための努力からくると思っている。
自分を知ることに勝る、人生攻略はない。
ご機嫌でいられないのは何故?と思うことがあったら、何故そう思うのか、一人になって自分ととことん向き合って対話するようにしている。
気づきを深めるうちは、常識や世間的に正しいとかは一旦脇に置いて、頭ごなしに否定せずにとりあえず聞いてあげる。
そうするとだんだんと冷静になって、自ずと問題と考える部分の本質が見えてくる。
自分の人生における大切な「作戦会議」の時間だ。
根本にあるガンが何なのか分かったら、あとはそれを排除しようとなるだけ努めるだけ。
言葉にすると回りくどく聞こえるかもしれないが、ここ数年気づけば息を吸って吐くようにできるようになりその習慣が定着している。
何をやるか、よりも何をやらないか
自分が不得手なことを理解して、そこにおいては頑張る努力を放棄する。
何をやらないかを決めておくことで、そのことで必要以上に頭を悩ませなくて済む。
全方位的に完璧でいようとしなくて済む。
大局観として、それこそが「戦わずして勝つ」という名言を残した、“孫氏の兵法”の真髄ではないだろうか。
ご機嫌でいるための努力、あなたは何をしますか?