毎朝聴いている有料の音声ニュースアプリの記事のタイトルが相変わらずパンチの効いたテーマだったので、シェアしたい。

「自己分析が人生をつまらなくする」

物議を醸すテーマでことは間違いなさそうだが、考えるきっかけ与えてくれるには十分すぎた。

自己分析のメリットは何か、あらためて考えてみた。

個人的には、自分の強みや弱みをあらゆる質問から導き出し、何が自分に向いているかを考えていくことで、自分に合う仕事を見つけられること、などが挙げられるのではないか。

では、自己分析のデメリットは何か。

パーソナリティーの主張は一貫して、

自己分析から生まれる勘違いが人生を潰してしまう」とのこと。

一体どういうことだろう…?

自分を掘り下げていった先にあるのは、原因論

自分を分析して、それに合った戦略を考えることは、客観的には筋が通っているように見える。

しかし前述した主張を紐解くと、結局自己分析をしても現状を肯定させる理由を探すことにしかならないと彼は語る。

つまりそこで納得して終わり、ついぞ改善を伴わないのであれば寧ろやる意味がないということになる。

行動に勝る改善策はない

自己分析と聞いて、有名どころで思いつくのは自己診断テスト「ストレングスファインダー」や性格診断サイト「mgram(エムグラム)」だろうか。

たしかに、これらを使えば、自分の性格を知ることはできるような気がする。

しかし、「これからどうするか」の局面でするべきことは意外と限られている、と彼は語る。

「自分はどんなことに向いているんだろう?」
「世の中のトレンドを考えると、自分にできることは何だろう?」と

分析し続けたところで、100%納得できる答えは机に座って考えているだけでは、いつまで経っても得られない。

確かに、この主張には私も同意だ。

自己分析は、未来を描くためのひとつの材料にすぎない

今の自分の分析によって未来の面白い人生を描くことはできない

最後の一手となるのは理屈ではなく、飛び込むこと。

つまり行動なくして語ることなかれ、ということだろうか—

自分を分析するよりも、まずは興味の赴くままに飛び込んでみるほうが、はるかに人生を良くしていけるし、閉じこもった殻から出ていくきっかけになる

自分の中にあるものを探すのではなく、自分の中にあるものが外側のどこに向かおうとしているのか、言い換えれば「自分はどんなことを楽しいと感じるのか」に敏感になれると良いなと思う。

自分自身に置き換えてみるとよく解る。

「旅が向いているから、パックパッカーになった訳ではない」

「今はこれを楽しいと思えるな」と感じた小さなことが、少し挑戦してみると自分にとって大きなこと、人生のライフワークや情熱を持って取り組めることに変わっていく。

旅で得たインスピレーションを受けて、今デザインや写真の仕事をしている。

結果、自己分析という裏付けがなくとも、興味関心のまま行動していった結果、自己分析の結果と近しい未来をたぐりよせるのだろうという、ニワトリ or タマゴ論に帰結しそうだ。

まとめ:向き合うべきは強みではなく「弱み」なのではないか、という考察

独立して思うことは、自分の苦手なことは極力やっていないということ。

自己分析で発見した「好き」と「強み」を掛け合わせて生きていく、とは昨今よく聞くフレーズだが、それは逆ではないかと思っている。

全ては、私はこれをやりたくない、からの逆算だ。

  • 誰がやっても正解が変わらない求められる成果に唯一の答えが決まっている仕事
  • 創意工夫の余地がないマニュアル化されたルーティーンワーク
  • 時間と場所が限定されてしまう仕事 …etc

だったらそれをやらずに済むための仕組みづくりで努力しよう。

やりたくない、と聞くと一見マイナスのエネルギーが発動しているように思うが、自分が絶対に嫌だと思うものを避けたいとばかりにはたらく強制力は凄まじいと思っている。

一方、他者が努力を要する局面であっても、自分にとっては出来てしまう、ことに重きを置いて活動し、苦手分野は早々に白旗をあげて得意な人にお願いしてしまう。

そして、自分は歯を食いしばらなくても出来る領域で精一杯価値提供する、

これこそが「戦わずして勝つ。」でお馴染みの孫子の兵法あらため現代のマーケティングではなかろうか。

尊敬する経営者さんの多くは自分が注力すべきこととそうでないことの棲み分けが非常にうまいと感じる。

私もパワーレスに生きる術をこれからも行動しつつ学んでいきたいと思う。

  • Feedly

この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。