今日から、個人事業3年目がスタート。

私の起業ストーリーを振り返れば、苦労して取得した北欧行きのビザがコロナの影響で実質上、紙切れに変わってしまったことがはじまりである。

それならば、とこのままただただ日本にいるだけではもったいないと小さいながらも、

「自分でビジネスをやってみよう!」とスタートさせたことがきっかけとなる。

今では、自己紹介の時に当時のことを振り返り、『向こう見ず起業』といって笑い飛ばしているが、誰しもが通る苦労はそれなりにあり、不安やプレッシャーで押し潰されそうになりながら、何とか持ち堪えながらここまできた。

8年ほどサラリーマンを経験したが、会社にいることで得られる学びも多かったことは確かだ。

でもそれは、「受け身」の学びだったことに気づく。

一言で言うと、フリーランスとして自分で考えて行動して得られる「攻め」の学びは、それよりももっと価値が大きいのだ。

会社員=悪、フリーランス=最高…!と声高に唱えるつもりは毛頭なく、学べるものの種類が違うのだなということが実体験を通して分かったことでもある。

この2年間で起きたこと、日々考えていること、そして時に行動しながら学んでいること、その全てがこれまでの人生で何も無駄じゃなかったからこそ、今もこの働き方を続けているのだと思う。

お客さまの反応がダイレクトに返ってくるからこそ嬉しい気持ちにもなるし、日々責任が纏うものだからこそ改善しがいもある。

そしてその一連の流れに創意工夫の余地があるからこそ楽しいと思える。

自分の立ち居振る舞いで簡単に状況を悪くすることも出来るし、工夫次第で面白くすることも出来る。

もがきながらでも、その時々で見つけた答えは宝物。
与えられたマニュアルに沿った塗り絵などたまらなくつまらないと知っているからだ。

つらかった時と同じ状況に戻りたくないから今頑張ろうと思える。

私には、20代の中盤に伽藍堂と化した空白の期間がある。

思い返そうにもどうにもピースがうまく繋がっていかない感覚を伴うのだが、
自分をとことん見失い、人生が、何もかも分からなくなってしまったとてつもなく惨めな時間である。

20代半ばと言えば、会社で言うところの中堅どころとして頼られる存在だ。

新卒で入社した同期たちが皆出世街道まっしぐら、と言わんばかりに役職も肩書きも内外ともに綺麗なものを揃えてきている。

そんな頃に自分は社会のレールを降りた。

超ホワイト企業を退職して、婚約者と別れ、自律神経失調症、パニック障害というお土産をぶら下げて留学先の北米の地から帰国してきた。

人間は本来無一文というが、0を飛び越えてマイナスになってしまった。

頭の中が、『グワァン、ぐわぁんする』という擬音語は当時の自分のためにあるようなものだと思った。

脳は衝撃緩和のためにつらかった記憶を消す、というはたらきをしてくれるようだが、まさにそんな感覚なのだ。

迷った時ほど、答えは心の中にあるという真実。

突破口になったのは、人の数だけ正しさがある世界なのだから、世間が正しいとする感覚よりも自分の感覚を信じること。自分が正しいと思うことを正解にする人生にしよう、と心に決めたことからだ。

それが今もシンプルでありながらも、明快な自分を支える言葉になっている。

変化を恐れて、見慣れた道を選んでしまえばその先にあるifの未来を、一生手放すことになる。

本気でやれば、成功しても失敗しても学べることはとても大きい。

失敗することを恐れるより、自分の人生に本気になれない時間があることを恐れたい。

目の前のヒト、コトに真正面から向き合う過程でやっている事は少しずつカタチを変えていっていっても、やりたい事は10年前とさほど変わっていない。

『あなたは、どんな仕事をしたいの?』と聞かれても答えは様々で漠然としたアンサーの域をなかなか出ないが、『どんな想いで仕事をしていきたいの?』というHowの部分には独立当初から確固たる想いがある。

関わる人の人生や事業に1mmでもプラスになれるようにする—

人生の時間も関わる人にも限りがあるからこそ、
自分が心から大事に思うものだけに全振りする人生を貫くと決めている。

いつも楽しくお仕事をさせてもらっているクライアントの皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

本当にありがたいなと思うし、毎年やってくるこの初々しい気持ちをこれからもずっと忘れずにいたいなと思う。

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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。