ガンジス川(by リシケシ)

はじめてインドを訪れたのは、今から5年前。

当時、23歳(だったように記憶している)

健康オタクがいきすぎて、ヨガとアーユルヴェーダに被れての渡印だった。

「インドへ行きたい」

「地球の歩き方」を抱きながら、寝ても醒めても(時々は枕にしながら)、毎日祈るように天に向かって想い続けていたら、ある日「運」と「縁」が重なって、本当にマサラの香る灼熱の地へと飛び立つことが出来た。

まことに思いの強さを実感したほどだ。

叶えたい夢があるなら、強くつよく想い続けること。

そう身を以て体験した私の成功体験のひとつだ。

現地での日々は

デリーの朝焼け

日本から香港を経由して、約10時間かけてデリーの空港に辿り着いた瞬間、真っ先に鼻に飛び込んできたマサラの匂いで夢がひとつ叶ったことを悟ったのを昨日のことのように覚えている。

現地での移動手段といえば、オートリキシャが主であった。

常に定員以上の大人が乗り込み、悪路を物凄いスピードで走る体験はどんな遊園地のアトラクションよりスリル満点だった。

ぜひ皆さんも渡印の折には、海外旅行保険に加入するのをお忘れなく。

その効力が発揮されることがあってはならない前提なのだが。

番犬ならぬ、番ゾウ

現地での日々は、一歩外へ出ればそこは雑踏と混沌が入り混じる、まさにカオスな状態ではあったが、アシュラムという名のヨガ道場で無事にそれらとは隔絶するかたちで匿(かくま)われて過ごすこととなり、安心と安全、また浄化とリラックスができる環境を同時に得ることができたのである。

毎日のスケジュールが規則正しく決められており、早朝からヨガや瞑想のレッスンを受けたり、日中はアーユルヴェーダ(インドの伝統医学)の考え方に基づいたインド料理について実践で学んだりした。

ヒマラヤの麓にあたる北インドの上流を流れるガンジス川は、バラナシにあるようなコーヒー牛乳さながらの濁流ではなく、エネラルド色に近い澄みわたるような美しさの川なのである。

その川に早朝から散歩に出かけては、静かに自然を感じたりした。

実際に、私も沐浴をしたり、バタフライの練習をしたりした。

#リアルガンジス川でバタフライ

朝の散歩
アシュラムの裏庭

特筆すべきは、アシュラムの裏庭に放牧されている牛のミルクから作られる『チャイの時間』だ。

ストレスのない牛の搾りたてのミルクから作られる本場インドのそれを飲む時間は、すっきりとした牛乳の甘みを伴う格別のティータイムだった。

奥に控えるのは、まさか手羽先ではなくパイのようなお菓子

心配された衛生事情も杞憂に終わる。

毎日作りたての栄養満点の食事(ほぼカレーだが種類が違うので、全く飽きない)をおかわりする日々は、お腹を下すどころかすこぶる健康になった。

私だけ?

インド料理といえば、ナンでしょというあなた。米粉のパンをご賞味あれ。
たまに、ビリヤニというヌードル(これもまたカレー味)が出されたりした。
バナナのサモサ(右手前)が唸るほど美味しかった

後悔のないお布施を

特徴的だったのは、

アーユルヴェーダの診察を現地のお医者さんから直接得る体験ができたことだった。

脈診にはじまり、いくつかの問診を受けながら、今の自分に必要なことをアドバイスしてもらい、必要な処方箋をもらうのだ。

僅かな滞在期間にもフィジカルとメンタルの両面で自分を知れる機会となり、今でも忘れがたい体験として印象に残っている。

ちなみに、私はいくつかの助言の中で

会社員をやめてもっとクリエイティブなことに時間を割きなさい

とアドバイスをされた。

当時は、起業の「き」の字もなく、会社をやめるつもりも毛頭なかったはずなのに、人生って面白いね。

数年後本当に会社を辞めて独立しているんだもの。

最後に、お代を払おうとして診療代を尋ねると、決まった金額はないという。

つまりは、

あなたの気持ち次第

ということのようだ。

人の感じ方によって値段が変わる制度だそう。

“後悔のないお布施を”

その時に、掛けられた言葉は今でも忘れない。

施しを躊躇うことなかれ

お金だけに限らず、他人に施しをする時は、いついかなる時も後悔のないように。

この時の体験を抽象化して、私はそう受け取ることにした。

インド旅の中、またこれまでの人生においても強く印象づけられる言葉となった。

その旅の意味をリアルタイムで知れることは、ほとんどない。

一定の期間を経て、「あぁ、あの時の旅はこういうことを今の自分に伝えたかったんだ」と知ることになる。

だから、旅はやめられない。

モ〜
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この記事を書いた人

ヒカリノアトリエの中の人

三度の飯より、旅が好き。
旅と写真と文章をこよなく愛しています。